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高松高等裁判所 昭和54年(ネ)310号 判決

控訴人 堀部英一

右訴訟代理人弁護士 山原和生

同 戸田隆俊

同 土田嘉平

被控訴人 共栄火災海上保険相互会社

右代表者代表取締役 高木英行

右訴訟代理人弁護士 田本捷太郎

主文

一、原判決を左のとおり変更する。

(一)  本件当事者間の須崎簡易裁判所昭和五三年(ロ)第四〇号督促手続事件の仮執行宣言付支払命令は「控訴人は被控訴人に対し金三六万二三五三円及びこれに対する昭和五二年八月一六日から完済まで年一割四分六厘の割合による金員を支払え。」との限度で認可し、その余を取り消す。

(二)  被控訴人のその余の請求を棄却する。

二、訴訟費用は第一、二審を通じて、これを五分し、その四を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

事実

一、申立

(控訴人)

1. 原判決中、控訴人の敗訴部分を取消す。

2. 被控訴人の請求を棄却する。

3. 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(被控訴人)

1. 本件控訴を棄却する。

2. 控訴費用は控訴人の負担とする。

二、当事者双方の主張は、控訴人において請求原因に対する答弁2(一)の次に、左の主張を付加するほか、原判決の事実記載を引用する。

「日常家事行為の範囲は夫婦であることに対する第三者の信頼と、夫婦であっても各自が独立した別個の権利主体であることとの具体的な調整により解決すべきものであるところ、本件で訴外堀部伊津子(本件一五〇万円借入当時は控訴人の妻、その後、離婚して北村と改姓した。以下、伊津子という。)が訴外高知信用金庫(以下、金庫という。)との間に控訴人名義で締結した本件金銭消費貸借契約は、その借入金の使途は台所改修及び諸設備購入と表示されていて、日常生活上の必要に基づく借財であるといえても、その金額が一五〇万円という可成り高額であるから、これを夫婦間で協議して決する場合には相当の日時をかけて結論が出せる程の重大事であり、夫の留守中に妻が独断でその借入れを決すれば、後日、夫婦間でその借入れをめぐる紛糾を生ずることが何人にも予想できるし、訴外金庫にも伊津子と本件一五〇万円の消費貸借契約を結ぶにあたり、右の如きことを容易に判断できた筈であるから、伊津子の右借財は日常家事に属する債務負担とはいえず、控訴人にその弁済をすべき義務はない。」

三、証拠〈省略〉

理由

一、原審における証人井上幾三男、同北村伊津子、同門脇和男の各証言、控訴本人尋問の結果及びそれらにより控訴人作成名義部分は控訴人の当時の妻伊津子が控訴人に無断で作成し、その余の部分は真正に成立したものと認められる甲一号証の一、第六号証によると、右伊津子は昭和五一年五月一七日、控訴人を借主、自己を保証人とし、使途を台所改修及び諸設備購入とするローン融資申込書(甲第六号証)を訴外金庫(上ノ加江支店)へ提出して本件金銭の貸与を申込み、これを承諾した同金庫へ同月二〇日甲第一号証の一(金銭消費貸借証書)を差入れて、同金庫から請求原因1(一)ないし(四)の約定により金一五〇万円を借り出したこと、右甲号各証中の控訴人の氏名は伊津子が無断で手署し、その名下の捺印は同人が遠洋漁業へ出漁中の控訴人から預けられていた実印を冒捺したものであることが認められ、他に右控訴人作成名義部分が控訴人の意思によるものであること、ないし、その金銭借受けにつき控訴人から伊津子へ代理権限を付与していたことを認めるに足る証拠はない。

二、成立に争いがない甲第五号証の二、官署作成部分の成立に争いがなく、原審証人門脇和男の証言により、その余の部分の成立が認められる甲第二号証、弁論の全趣旨により成立が認められる甲第三号証、第四号証の一、二、官署作成部分の成立に争いがなく、その余の部分の成立を弁論の全趣旨により認め得る甲第五号証の一、原審証人門脇和男、同北村伊津子の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、訴外金庫への右貸付金に対する分割弁済が第一回の割賦金三万一〇〇〇円と昭和五二年二月一〇日までの利息金は弁済されたが、その余の弁済がなく、約定により遅くとも同年三月七日の経過をもって分割弁済の利益が失われたこと、同金庫は昭和五二年八月一五日ころ、本件金銭消費貸借契約上の元利金未弁済債権(金額一四六万九〇〇〇円)を被控訴人へ譲渡し、控訴人に対し、同年八月二五日到達の書面で右債権譲渡を通知した(右債権譲渡の通知につき当事者間に争いがない。)ことが認められる。

三、控訴人が本件金銭消費貸借につき伊津子へ代理権を付与したと認め得ないことは前記一で認定したとおりであるので、請求原因2冒頭の主張は理由がなく、以下、請求原因2(一)(二)(三)の各主張を検討する。

(一)  前記甲第一号証の一、第二、第六号証、成立に争いがない甲第八号証、原審における証人北村伊津子、同井上幾三男の各証言、控訴本人尋問の結果とそれらにより成立を認め得る甲第九号証、控訴人作成名義部分は伊津子が控訴人に無断で作成し、その余の部分は真正に成立したものと認められる甲第一号証の二、第一〇号証を総合すると、次の事実が認められる。

1. 控訴人は遠洋鮪漁船の船員で、その出漁期間が一年前後にわたることもあるが、昭和四五年初めころ伊津子と高知県高岡郡中土佐町上ノ加江の借家(昭和五一年ころの家賃月額五〇〇〇円)で、夫婦として同棲し、翌四六年二月婚姻届をし、そのころ伊津子の連れ子である女子(昭和三七年生)と養子縁組をした。二人の間に長男が昭和四六年二月に、次男が同四九年に生まれた。伊津子は控訴人の出漁中、右子供らを養育し、ちり紙を袋につめる内職などをしていた。

2. 控訴人は昭和四九年九月一日ころ伊津子とともに訴外金庫(上ノ加江支店)へ赴き、自己名義で金三〇万円を返済期限昭和五〇年五月三一日、利息年一割二分、元利金を毎月末日に一万円あて分割支払いのうえ、残額を返済期日に完済する約定で借り受けた。その保証人には伊津子の姉北村房代(民宿業)及び山本利晴(職業及び控訴人との関係は不明)を立て、控訴人は右借入金の用途を訴外金庫へは風呂場建築資金と説明したが、実際には小型漁船の購入代金の一部支払いに使った。

控訴人は右借金を昭和五〇年一〇月までに、伊津子を通じて訴外金庫へ完済した。

3. 控訴人は昭和四八年ころから五二年にかけて、高知県室戸市の遠洋鮪漁船主大西英教に機関員として雇われ、その昭和五〇年度の給与手取額合計は約三三〇万円であり、昭和五〇年一〇月二五日ころ遠洋漁業に出発し、同五二年三月帰宅した。右出発の際、控訴人は伊津子へ現金一〇万円余と三〇万円の預金通帳を渡した。その出漁期間中、船主大西英教が控訴人へ支払うべき給与の中から、伊津子へ毎月一〇万円ずつ送金した。右出漁前に伊津子は控訴人へ、幼児がいるので自宅に湯沸器を買いたいと相談をかけたところ、控訴人は格別異議をいわなかった。しかし伊津子から控訴人へ台所改修やその他の日常家事に使用する諸設備を購入する相談や話をしたことはなかった。

4. 控訴人が遠洋漁業へ出発してから五か月余後の昭和五一年四月五日ころ伊津子は控訴人に無断で控訴人を借主とし、自己を連帯保証人として金三〇万円を、用途子供部屋の改築資金、利息年一割五厘、返済方法昭和五二年七月二七日までに毎月二万円あて一五回の割賦で支払う約定で借り出し、その際、控訴人の雇主からかねて渡されていた控訴人の昭和五〇年分給与所得の源泉徴収票(甲第八号証)を、サラリーマンローン融資申込書及び信用金庫取引約定書(甲第一〇号証、第一号証の二)等とともに同金庫へ差入れた。しかし、伊津子は建物の改築を計画した訳でなく、右三〇万円の使途は明らかでないが、その借出しから一か月余り後の同年五月一五日ころ、これを同金庫へ一括完済した。

訴外金庫は右三〇万円の貸付けにあたり、控訴人が前記大西英教に雇われ遠洋漁業に出漁中であることを伊津子から聞知していたが、控訴人へ借入意思の確認をしたことはなく、また家屋改築の調査もしなかった。

5. 訴外金庫は右三〇万円の返済を受けてより五日後に、伊津子との間に控訴人を借主とする本件一五〇万円の消費貸借契約を締結したが、右三〇万円貸付けの際に伊津子から提出させていた前記信用金庫取引約定書(甲第一号証の二)及び控訴人の昭和五〇年度給与所得の源泉徴収票(甲第八号証)をそのまま本件一五〇万円の貸付取引に使用して、控訴人への意思確認をせず、貸付金の使途に関しては伊津子から大崎三男作成名義の台所改修工事見積書(甲第七号証、代金合計一四三万七〇〇〇円)を提出させたのみで、他の調査をしなかった。

6. 伊津子は訴外金庫から借り出した本件一五〇万円中、約三〇万円を湯沸器の購入設置代及び台所内壁の補修代に使い、また七万円余を長男が中耳炎で菜園場耳鼻科病院へ入院治療した際の治療費(病室代を含む)等に使ったほか、その余の右借入金の使途は明らかでない。

7. 控訴人が遠洋漁業を終えて伊津子ら家族のもとへ帰った昭和五二年三月ころ、伊津子は家賃の支払いを遅滞したり、近所から米代などを借りていたほか、サラ金業者に対する負債が約一〇万円あった。同月末ころ訴外金庫から電話連絡を受けた控訴人は、伊津子が自己の出漁中に同金庫から本件一五〇万円及び前記三〇万円を借り出したことを初めて知り、伊津子へその使途を尋ねたが、同人は湯沸器の購入設置と台所内壁の補修及び長男の治療代に使ったと告げたほか、一五〇万円から右代金合計三七万円を控除した一一〇万円余の使途を明さず(一五〇万円の借受けより一か月余り以前に借り出した三〇万円についても使途を明さなかった)、控訴人が帰宅してより約二〇日後に伊津子は自己名義部分を記載ずみの協議離婚届書を控訴人のもとへ残し、前夫との間に生まれた長女をつれて家出し、所在を晦ませた。控訴人は右協議離婚届書で同年六月三日、伊津子と協議離婚した。

控訴人はその後、伊津子及び訴外岩崎章史両名を相手方として、自己の遠洋漁業出漁中に、右両名間に不貞関係があったとして、高知簡易裁判所へ損害賠償請求の即決和解を申請し、両名が連帯して控訴人へ慰謝料を支払う旨の和解が成立した。

8. 控訴人は訴外金庫から昭和五二年四月六日ころから同年六月二日ころまでに五回にわたり本件金銭消費貸借上の債務を支払うよう催告されたが、伊津子が自己に無断で借り出したと同金庫へ告げて、右催告に応じなかった。

以上のとおり認められる。原審証人北村伊津子の証言中、訴外金庫から借り受けた本件一五〇万円中、前記湯沸器等の代金及び子供の医療費合計三七万円を除く爾余の金員を、家計不如意を補うためやむなく借入れていたサラ金業者五軒(元利合計九〇万円)に対する弁済や、控訴人がかって小型漁船を購入した際、約二〇〇万円を代払いして貰っている長兄(北村芳雄)への返済に使ったと証言しているところは、その供述を裏付けるべきものがなく、原審における控訴本人尋問の結果と比較して措信し難く、他に以上の認定を覆えすべき証拠はないので、請求原因2(三)の追認の主張は、爾余の主張に対する判断をするまでもなく理由がない。

(二)  民法第七六一条の規定の趣旨に照らし、夫婦の一方が他方に対して相互に日常家事に関する法律行為につき代理権を有すると解される(最高裁判所第一小法廷昭和四四年一二月一八日判決)ところ、伊津子が自宅の台所改修と諸設備購入の費用や代金に使うと説明して訴外金庫から借り出した本件一五〇万円のうち、その説明した用途に使われたのは前記認定のとおり約三〇万円であり、そのほか長男の医療代に費消された前記約七万円を合わせた合計三七万円は控訴人の家族の日常家事の用途に費消されたといえるから、控訴人の妻伊津子による本件一五〇万円借入行為のうち、少くとも右三七万円の借入れについては、控訴人夫婦の日常家事に関する法律行為に該るので、控訴人は右三七万円の借入によって生じた債務を伊津子と連帯して弁済すべき義務がある。

しかし本件一五〇万円の債務中、右三七万円の債務を除く爾余の分は、伊津子がその日常家事に関する代理権の範囲内で負担したとは認められず、その金銭消費貸借契約を締結するにあたり、訴外金庫において、右一五〇万円をすべて台所改修及び諸設備購入に使うとの伊津子の説明を信用したとしても、その金額は控訴人の年間収入の半分近くに該り、従前、控訴人を借主として貸付けた三〇万円の五倍という控訴人にとって到底軽視できない借入れであることは同金庫にも容易に察知できた筈であるし、また伊津子が同金庫へ説明した一五〇万円の使途が緊急を要することの具体的な事情も窺えないのに、伊津子がその早急な貸付方を申し入れるや金庫は同人からさえその事情を確めることなくそれに応じて右金員を貸付け、伊津子をして控訴人の船主を通じて、遠洋漁業へ出漁中の控訴人乗組の漁船が寄港する先へ、控訴人の意思確認をする方途を採らせなかったことにかんがみると、同金庫が従来、控訴人を借主として二回にわたり各三〇万円を貸付けた件は、事後、控訴人から異議が出されることなく完済されたこと、伊津子が本件一五〇万円の借受け申込みにあたり控訴人の印章とその印鑑証明書を金庫へ持参したこと等を考慮しても、一五〇万円中、前記三七万円を超える金銭の借入についても、訴外金庫においてそれが控訴人夫婦の日常家事の範囲に属すると信ずるとか、前記4のとおり伊津子が控訴人を借主として三〇万円を借受けたことがあること等を基本代理権として、同人が控訴人の代理人であると信ずるにつき正当な理由があったと認めることができない。訴外金庫において、控訴人が出港から帰港予定時まで一年余という長期間の遠洋漁業へ出漁中であるのを知りながら、その留守をあずかる妻伊津子が控訴人の印章とその印鑑証明を所持しているからといって、本件一五〇万円の借り出しがすべて同夫婦の日常家事に属するとか、通常の代理権ありと信じたとすれば、軽率というほかない。したがって、請求原因2(二)の主張は理由がない。

(三)  そうすると、控訴人はその妻伊津子が訴外金庫から控訴人を借主として借入れた本件一五〇万円の債務中、前記三七万円の分については民法第七六一条本文により、連帯債務者として弁済の責を免れないところ、伊津子が訴外金庫へ内払した元本三万一〇〇〇円を右日常家事に属する借入元本三七万円と、そうでない元本分一一三万円との比率で按分すると、その三七万円に対する内払額は七六四七円であるから、被控訴人の請求原因2(一)による本訴請求は控訴人夫婦間の日常家事に属する借入元本三七万円から右内払分を控除した三六万二三五三円及びこれに対する約定遅延損害金の支払いを求める範囲で理由があるが、その余の請求はすべて理由がない。

四、以上の理由により、被控訴人が訴外金庫からの前示債権譲受けによって取得した本件貸金返還請求権の控訴人に対する本訴請求は、控訴人夫婦の日常家事に属する貸付元本残額三六万二三五三円及びこれに対する期限の利益喪失後の昭和五二年八月一六日(債権譲受けの日の翌日)以降、完済まで年一割四分六厘の割合による約定遅延損害金の支払いを求める範囲で理由があるからこれを認容するが、その余の請求を失当として棄却することとし、これと異なる原判決をその旨変更して、主文一(一)掲記の仮執行宣言付支払命令を右認容の限度で認可し、その余を取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条本文、第九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菊地博 裁判官 滝口功 川波利明)

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